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瞳 : eye
■ escape
「……たかーっ!?」
「人集めろーっ!」
ドタドタドタ……
慌しい物音が響いてくる。
「……なんだ?」
なんとか眠い目をこすりながら外の様子をうかがう。何か大きなトラブルのようだ。
通常、『鼓動』の中でトラブルなどほとんど無い。大きな塀にかこまれた敷地内に入り込める侵入者はそう多くないし、まして砦まで辿り着いたものなど過去にいない。
(身内同士の小競り合いにしては……大した騒ぎだな)
しかし焦らず身支度を整えて、外に出る。
「見つかったかっ!?」
「いねぇっ!!」
「何があった?」
走っている男二人を引き止める。
「この前捕らえた『恐怖』が逃げ出したらしいっ!」
「手の空いてるものは対処にまわれ、だそうだっ! よろしく頼む」
「OK」
軽く答えながら考える。
(アラゾメ……逃げたのか)
セレストたちがアラゾメを連れ帰ってから四日が経っていた。
(まぁ、あの力があれば逃げるのは楽勝かもな)
星の血脈(ソウルトレント)に呼びかけ、足に風を纏う。
(逃がすにしても何にしても――)
「――俺が最初に見つける」
セレストは一気に窓から飛び降りた。
ふわり、と着地し、そのまま走り出す。
(まずは、研究棟だ)
棟内に入るには許可が必要だが、今はそんな場合ではない。守衛室の横を一気に抜ける。
ガスッ!
「――ってぇっ!!?」
見えない壁にもろにぶつかり、額と右手から血を流す。
「やはり来たな」
ニヤリ、と笑って筋肉質の男がセレストを見下ろす。
「……んな時に防御壁なんか張ってんじゃねぇよっ!」
「こんな時だからしっかりと張っておかなければならんだろう? 他の被検体が逃げ出すかも知れないし、騒ぎに乗じて誰かが入り込むかも知れない。……お前さんみたいにな」
「――っの!」
一気に頭に血が昇る。相手の言っていることが正しいのはわかっているが――だからこそ、余計に頭に来ていたのかも知れない。
「中には確実にいない」
「っ!?」
筋肉質の男に殴りかかる直前、それを見越したかのように男がセレストに告げる。
「中にはいない。他の心当たりを探してくれ」
「……悪かった」
セレストは冷静さを取り戻す。セレストは彼のことが嫌いではなかった――嫌いな相手に対して感情を剥き出しにしたりはしない。
「いいってことよ。ほら、速く探しに行かないと他の奴に見つけられちまうぞ」
「お、俺は別に……」
「いいから行けよ。行きそうな場所に心当たりはないのか?」
「心当たり――」
(あるわけない。彼女はここに来たばかりだし、ほとんど真っ直ぐ研究棟に連れて行かれた筈だ。『鼓動』の建物がどんな編成になっているかも知らな――)
「――あ」
「お?」
「サーンキュ。今度なんかおごるぜ!」
最後まで言い切らないうちにセレストは走り始める。
「やれやれ……オキも苦労してんな。ありゃあ……」
男は苦笑いしながら守衛室に戻る。
「……頑張れよ」
少年は、唯一アラゾメが知っているであろう建物『砦』に向けて走っていた。
(逃げるって言っても塀を越えようとすれば連絡はある筈。それがきてないってことは――)
入り口から入り、まず1階を一気に回る。
(いねぇっ!)
2階……、3階……、4階……
(いねぇっ! もう誰かに――っ?)
9階まで全ての階を回るが、少女の姿は見当たらない。
(確か人の探し方とか行動学の本が部屋にあった筈だ)
セレストは6階に戻る。
バタバタバタ……
走ってくる男に声をかける。
「見つかったのか?」
「いや、まだみたいだ。目撃情報すら無いって。もうとっくに塀の外に逃げたのかも?」
「そうか、気をつけろよ」
走り去る男をみながら、ほっとする。
(まだ見つかってはいない)
セレストは部屋の扉のノブに手を掛けて、すぐに手を放す。
(ノブの角度が……)
セレストは普段、部屋に誰かが入ろうとしたかどうかを見分けるため、部屋を出たときにノブを少し戻し、左右どちらにでも動くようにしている。――だが。
(右にしか回らない……まさか中に?)
急いで鍵を開けて扉を押す。
「――っ!?」
ベッド、窓、床、机、本棚、扉の裏、天井。
「――いないか」
肩を落とす。
「誰かいないんですか?」
「っ!!?」
後ろからいきなり聞こえた声に飛び上がり、ベッドの上に着地する。
「アラゾ――」
大きな声を上げそうになり、慌てて口を塞ぐ。
「ドア閉めて!」
「え……あ、はい」
アラゾメはゆっくりとした動きでドアを閉める。
「……」
「……」
「……なんでここに?」
色々と聞きたいことはあったが、やっと出たのはそんな言葉だった。
「あの……、帰り道に『砦』に住んでるって言っていたので……」
「そ、そうじゃなくて……っ! なんで逃げるのにここにいるの?」
「逃げ……る?」
「逃げるならここじゃなくて、塀の外に向かわないと! その気になれば塀くらい壊せるでしょ?」
塀自体は魔力で保護された非常に強固なものだが、『瞳』の力を使えば簡単に壊せるだろうとセレストは考えていた。
「えっと、その……退屈だったので……、研究棟の方々は良くして下さるんですけど……」
「……?」
セレストは混乱していた。『鼓動』中を騒がせている少女は今、自分の目の前にいる。本人は急いで逃げようだとかそういう意思はないらしい。
(――その気になればいつでも逃げられるという余裕か?)
「その……お話がしたいな、って……」
そう言って、少女はセレストの顔色をうかがうように彼の顔を見ていた。
「話……?」
セレストの口からは、単語しか出てこないのだった。
三時間後、オキがセレストの部屋を訪ねてアラゾメの所在が確認されるまで、『鼓動』の中は騒然としたままだった。
「し……始末書って……」
セレストは『始末書。明日までに4,000文字』と書かれたメモを見ながらため息をついていた。
(これは……始末書というか……)
「……反省文だろ」
執務棟の一室で、少年のため息は夜遅くまで消えることは無かった。