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左腕 : left arm
■ epilogue side ?Thomas
「信じられない、って顔をしているな」
トマスは顔が若干にやつくのを抑えることが出来なかった。
目の前にいるのは、マイケル・ライザー中将。その顔は蒼白そのものだ。もともと小さな身長が更に小さく見える。
「いや、私は君の力を信じていた」
空々しい言葉に続ける――
「そうでなかったとしても、軍としてはこちらが最も理想的なルートであることは間違いない」
もっとも、中将個人としてはトマスが遺跡から戻ってこない方が都合は良かったのだが。
「どちらに転んでも得をする賭けなんていうのは、賭けとは言えんな。さて――、まずは部下達の現在の情報を貰おう」
「……勿論、用意してある――受け取りたまえ」
20枚ほどの資料をトマスに差し出す。
トマスは、パラパラと紙をめくりながら……『ハリス』の名前を探す。
ハリス――十八年前に『瞳』のキャリアであることが発覚し、その体ごと封印されたトマスの部下。
「さて、回収した『恐怖』を渡してもらおう」
「部下の確認が先だ」
「そんな悠長なことを言っている場合ではない。確かに君の幽閉されている間技術は進歩したが、あの封印も完璧ではないのだ。意地を張っていないでさっさと渡すんだ」
「意地を張っているのはお前さんの方だろう? ……っ!!?」
ハリス少尉 …… 新暦60年(十五年前)殉職。
死亡理由 : 心臓発作
「ハリス……、貴様……っ!!」
トマスは一瞬でマイケルに近付き、胸ぐらをつかみ上げる。マイケルは気付かれたか、とでも言うかのように――だが気付かれないわけがないのは彼もよくわかっていた――大きく息を吐き、トマスを真っ直ぐ見据える。
「ハリス中尉は、封印具によってその行動の殆どを制限されたまま、牢の中で突然死んでいた。原因は一切不明だ。『恐怖』の影響である、と考えている」
トマスは全身の血が沸騰するような感覚に襲われていた。今にも目の前の男を殺しそうになるのを必死でこらえる。
(ハリス……)
「……他の16人は生きている。まだ軍に残っているものもいるし、直後に辞めたものもいる。今は監視もつけていない」
トマスはゆっくりとマイケルを離し、一歩下がって呼吸を落ち着ける。
「……受け取れ」
トマスは必死に感情を押し殺しながら、『左腕』を右手で握り締め、マイケルに突き出す。
「うむ。エルンスト少佐! 来てくれ!」
マイケルは外で待機していた男に声をかける。呼ばれた短い金髪の男は軍人独特のきびきびとした動きで部屋に入ってくる。
(秘書……ではないな。戦闘員か)
「自分で受け取らないのか?」
トマスの言葉にマイケルは、はっとしたような顔をしたのち、平静を装って答える。
「それは出来ん」
気付くと、部屋の外に十数人の気配を感じる。
(逃がさない……ってわけか?)
やれやれ、と少し頬が引きつったのかも知れない。
「いや、そうではない。『恐怖』の取り扱いに備えているだけだ。万一、暴走されては適わないからな」
マイケルはこちらの意図を汲んで口を挟む。
(そう、そこだよ。お前さんを覚えていた理由。お前さんは相手が何を考えているか、本当によく気付く。相手が最も好む方法か最も好まない方法で取引や交渉を持ちかけることに関しては昔から天才的だった)
トマスは心を落ち着けて、エルンストと呼ばれた男に『左腕』を渡す。
トク……
渡した瞬間、少し『左腕』が脈動したような気がした。
「そうか。この基地にいる部下もいるようだ。顔を見てからおいとまするとしよう。報酬は私と部下達の口座に等分して振り分けておくように。ハリスの家族にも忘れるんじゃあない」
「待つんだ」
「……なんだ?」
トマスの発する雰囲気にあてられて、一瞬で部屋の中に緊張が張り詰める。入り口の3人が慌てて身構える。
「これを持って行きたまえ」
そう言ってトマスにカードを投げ渡す。
「君は今、形式上は軍の関係者では無い。そのまま行っても途中で止められるだろう」
「……ありがたく受け取っておこう」
トマスが緊張を解くと同時に、室内の緊張も霧散する。
そのままゆっくりと部屋を出て行った。
「……行かせてよろしいのですか?」
トマスが部屋を出たのち、エルンストが声を発する。
「本来ならば良くは無いが、仕方あるまい。……どのみち、この戦力では返り討ちだ」
――どちらにしても、奴のことは後。大きく息を吐きながらマイケルは吐き捨てるように言う。
「……私にとってはその『左腕』より奴の方が脅威だ――ん?」
「あ……あ……」
「どうし……た……」
だが聞くまでもなく判っていた。封印をした上からでも『恐怖』に触れると突然死するものがいる。十八年前、ハリスが封印されたときも、搬送途中に20名もの死者を出した。ちなみにこれはトマスには聞かされていない事実のうちの一つである。
この経験から、封印された『恐怖』に触ることの出来る特性を研究し、十数個の項目を考慮したうえで受け取り役として選ばれたのがエルンストだった。
「あぁぁ……」
エルンストの口から悲鳴ともつかない声が漏れ出る。
だが、十八年前のそれとは若干様子が異なっていた。かつてのそれは触った部分から大型の肉食獣に喰われていくかのように体が削られていったが、今回はどこにも外傷は見当たらない。
「お……あぁ……あ……」
「エルンスト少佐っ! しっかりしろっ! おい、お前らっ! 緊急事態だ。応援を要請しろ。いるだけ集めるんだっ!」
「はっ!」
廊下にいた中の二人が走っていく。
気付くとエルンストの手に握られていた筈の『左腕』は無くなっていた。
「まさか……」
エルンストの全身は黒く染まり随所に血管が浮き出ている。膨らんだ体のせいで若干猫背気味になった彼の目は光を宿していない。
バリンッ! 大きな足音と共にエルンストは窓から飛び出す。
「追えっ! なんとしてでも捕まえるんだっ!」
マイケルは声を荒げて指示を出す。
「……なんということだ」